小学校6年生になった日から1年間存在自体が無いこととされていた
無視というか存在自体が無いこととされていた
クラスメイトが「遊び」だと主張したので教師も悪ノリしていたのだろう
教科係経由で提出した提出物が無くなったり道具が無くなったり給食がないこともあったが、
通っていた小学校は教科ごとに教師が違うので、提出物は担当教師に直接提出したり、
(担任の教科は職員室で担任がいない時を見計らって他の複数の教師に声を掛けて提出した)
給食は給食室に残飯を取りに行っていた
クラスメイトは「誰もいないから大丈夫だよね」と私に向かって投げてくる
突然「素振りの練習」と言いながら平手打ちをされる
そんな毎日が小学校卒業まで続いた
正直無視されていたことよりも親にバレることが何よりも嫌だったので
家では常に笑顔で、楽しそうな学校生活を送っている振りをしていたのがキツかった
実際は朝起きてから寝るまでずっと謎の腹痛と吐き気と頭痛に襲われていたけど、
「今日も学校楽しみだな」みたいなことを言って笑顔で出掛けて、
帰ったら「今日も学校はこんなに楽しかったよ」と嘘の報告をしていた
演技力の甲斐あって、今でも親は私の小学校生活は楽しいものだと思っている
(実際に当時の写真やビデオは満面の笑みで楽しそうなものばかりだ)
お陰で演技力と妄想力(脳内友人や脳内ストーリー構築)は逞しくなったよw
中学生になったら無視がなかったかのように元クラスメイト達から普通に話しかけられたが
その頃には人間なんてそんなものだと思っていたから特に何とも感じなかったし、
誰にも頼らずに自分のことは自分でやる癖がついた
結果、誰にも頼りたくなかったから小学校から大学まで1日も授業を休まなかった
改めて思い返してみると、修羅場というかある意味強くなった話で申し訳ない
中には達観してしまうというか人間こんなもんか、と割り切れるタイプもいるよな
家族仲が良さそうなのが不幸中の幸い
自分が我慢して丸く収まるんだったらそれで良いやとも思ってた
両親は結構厳しかったんだ
常に「自分の考えた完璧な子供」を求めるタイプだったんだけど共働きで忙しかったから、
夕飯まで大好きな祖父母と一緒にいられたのが幸いしたと思う
今気付いたんだけど、よく祖父母から
「怒っても1日、泣いても1日、笑っても1日。同じ1日なら笑って過ごす1日が良いよ」
と言われていたんだ
もしかしたら何も言わなかっただけで気付いていたのかも知れないな
祖父母の言葉にちょっと感動してしまったでござる悔しい
最初はまたいじめられっこが連鎖出てきたぜウゼーと思ってちゃんと読まなかったのに
やっぱり無償の愛情+知恵の言葉はどこかで傷ついた子供の癒しになって
今も継続して知恵が体の中で生きてるのかもしれない。当時の本人は修羅場だったろうけど。
引用元: http://nozomi.2ch.net/test/read.cgi/kankon/1349615073/
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